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結成10周年オフィシャルインタビュー

  • 第五章 2017.6〜 改新 はこちら

    第五章 2017.6〜 改新

    ――配信シングル「あかつき」、ミニアルバム「OTONARIさん」「ネオンと虎」を経て、ニューアルバム「more humor」が完成しました。

    成田:10周年という大きな括りの時期を迎えたからこそ、新しいことにトライしたかったんですよね。ビートのアレンジ、テンポ感、歌や楽器の響かせ方を含めて、いい意味で裏切りたかったし、そのなかにパスピエらしいヒネくれた部分も入れたくて。

    大胡田:わかりやすく“変わった”と感じてもらえるアルバムにしたくて。4人編成になってからリリースした『OTONARIさん』『ネオンと虎』で新たに試してきたことも活かしながら、しっかり形にできたかなって。

    三澤:4人体制になってからの集大成ではないけど、いまのパスピエを詰め込めたと思います。バンド感も増してますからね。

    露崎:正規のドラマーがいない、つまりメンバーだけではバンドサウンドが成立しないがゆえに、固定概念に捉われることがなくなって。
    いろんな音楽を聴くなかで、「これもアリなんだ」と感じることも多いし、変化のスピードも速くなっているじゃないですか。自分たちも柔軟に音楽を捉えられるようになってきたので、それは良かったかなと。

    三澤:10年バンドをやってると、いろいろ変化しますからね。人間的にもそうだし、好きな音楽もそうだし。それも反映できたと思います、今回のアルバムは。

    ――もともとの考え方として、「常に変化したい」というところもあるんですか?

    成田:そうですね…。ひとつのスタイルでやり続けると、作品のなかで優劣が生まれやすくなると思うんですよ。もちろん人によって好き嫌いはあると思いますけど、変わり続けることで、優劣みたいな感覚は持たれにくくなるだろうなと。 そう考えると「前作と今作でまったくスタイルが違う」というほうがいいのかなと。

    露崎:スタイルを変えずにやるのも勇気が必要だし、どっちも素晴らしいと思いますが、パスピエは新しいものに手を出しながら続けるほうが性に合ってるのかなと。

    ――「more humor」は歌詞においても、さらに深く大胡田さんに人間性が感じられますね。

    大胡田:いまは“聴いてくれる人と向き合って、寄り添えるものを作りたい”という時期に入っていて。そのためには自分自身の内面や人生を歌詞に込めていかなくちゃいけなかったし、“対・人”みたいな歌詞が多くなってますね。 以前に書いた歌詞も、いま歌うと意味合いが変わっていることがあるんですよ。もちろんこれまでの曲も大事にしたいし、いまの自分の気持ちや歌い方で表現していきたいなって。

    ――アルバムのリリース後は全国ツアー。10周年を迎え、パスピエの未来はどうなっていきそうですか?

    成田:「ようやく10周年が始まったな」というところですからね。まずはアルバムの反応を確かめて、それ以上の感動をライブで返したいなと。
    この先については……「この先にはどうするか」ということをあまり考えなくなってるんですよね、最近。10年続けてきて、現にパスピエは有機的に動けているわけだし、いいものを生み出している自信もあって。 もっとたくさんの人に認知されて、パスピエという箱が出来上がっていけばいいなという感じです。

    露崎:10年のなかで、嬉しいことも大変なこともあって。10年続けてこられたことに自信を持っていいと思うし、それを糧にして、いろいろなことに挑戦していけたらなと。 いろんなトライを続けてきて、「これはダメだったな」ということもけっこうあるんですよ。そこで視野を狭くするのではなくて、凝り固まらずにやっていけたらいなって。「more humor」も、まさにそういうアルバムだと思うので。

    成田:そう、10年目でこのアルバムが出来たのはヤバいと思う。10周年で打つ一手じゃないですからね、これは(笑)。

    三澤:いま漠然と思っているのは、この先はもっと緻密に考える必要があるだろうなと。これまでもいっぱい考えながら活動してきたんですけど、意外と勢いで進んできたところもあると思うんです。 10周年を越えて、ずっとパスピエを続けていくためには、さらに頭を使わなくちゃいけないでしょうね。

    ――なるほど。大胡田さんはどうですか?

    大胡田:そうですね…。まず、聴いてくれる人にとってパスピエが日常的なものでもあり、スペシャルなものでもあってほしいなって。そういう存在になりたいというのは、ずっとありますね。 特に「more humor」は“寄り添う”“共感”ということを意識していたし、私の人間的な部分が伝わるといいなと、強く思っています。
    パスピエの音楽を聴いてくれるみなさんと、もっとつながりたいですね。

  • 第四章 2016.4~2017.5 波紋 はこちら

    第四章 2016.4~2017.5 波紋

    ――武道館ライブを成功させた後のビジョンはどういうものだったんでしょう?

    成田:「武道館をやったら、次はもっとも大きいところで」ということではなく、新たなベクトルを提示しなくちゃいけなかったので。
    まず、曲のテンポが変わってきたんですよね。「娑婆ラバ」まではBPMが170とか180くらいのアップテンポが多かったんですが、その武道館の後あたりから、ミドルテンポの曲が増えてきて。 「ヨアケマエ」「永すぎた春」もそうなんですけど、BPMは抑えているんです。
    だからといって落ち着ているわけではなくて、ビートのアレンジを変えたり、アレンジよって、豪華さは以前の曲と遜色ないように工夫して。

    露崎:「ヨアケマエ」のデモを聴いたときは、「こう来るんだ?」と思いましたね。

    大胡田:私も意外でした。

    露崎:「この曲をシングルにしたい」ということだったと思うんだけど、「これは新しいな」と。

    成田:それが(4thアルバム)「&DNA」まで続いて。そのときは意識していなかったんだけど、ずっと外に向かって開こうとしてきた反動だったのかもしれないですね、結果的には。
    「&DNA」に関して言えば、すごくまとまりのあるアルバムだったと思います。

    大胡田:音が整頓されてるというか。

    三澤:リズムのアプローチが増えた印象ですね、僕は。曲の作り方もかなり変わったんですよ。 「いままでだったらギターソロを弾いたな」というパートをギターのループにして、リズムを変化させることで曲全体のアクセントにしたり。新しいトライが多かったなと。
    大胡田さんも「フロントマンとして意識の変化があった」と言ってましたよね。

    大胡田:そうですね。「自分がやったことが、そのままパスピエのイメージになる」と思い始めたし、そのぶん、「苦しいこともあるんだな」という感じもあって。
    バンドを支えてくれる方々だったり、お客さんに対してもそうなんだけど、「期待に応えたい」という気持ちが強いんですよ、私は。たぶん褒められたいんだと思うんだけど、そういう意識が強まると、苦しいこともあって。
    好きなことをやってるんだけど、苦しいっていう葛藤が生まれた時期かもしれないですね。

    露崎:歌詞や歌い方も変化してたよね。より内面が出てきたというか。

    大胡田:そうかも。

    三澤:(アーティスト写真やMVなどで)顔を出すようになったのも「永すぎた春」からだし、音楽的にも歌詞の面でも、より人間的な部分が出るようになってきたのかも。

    ――確かに。そして「&DNA」のツアーの後、ドラマーのやおたくやさんがバンドを脱退します。

    成田:「&DNA」のツアーの最後はNHKホールだったんですけど、「このメンバーでやるワンマンはこれが最後」ということもあって、すごくいいライブだったんですよ。
    その後はいろいろな感情が絡まっていたけど、それを全部取っ払って、次に進んで…。
    「いまがいちばんいい」ということを伝え続けるためには、過去を払拭するのではなくて、肯定しなくちゃいけないと思うんですよね。
    「&DNA」は自分たちにしっかりフォーカスしたアルバムだったし、その後、メンバーが抜けることになったことで、真っ白なキャンバスになった感覚もあって。「さあ、何をやりましょうか?」という。

    三澤:ドラムが抜けたわけで、制作の方向も変わらざるを得なくなって。「OTONARIさん」(4人に体制になって、最初のミニアルバム)はデータのやりとりをしながら制作したし、打ち込みの曲に挑戦したり。

    露崎:慣れないことも多かったですけど、「ライブのサポートを誰にお願いしようか?」ということも含めて、いろんな可能性が広がったところもあって。ほとんどが大変なことでしたけど(笑)、おもしろさも感じてましたね。

    三澤:その状況をポジティブに捉えて…。

    露崎:そうするしかなかったので(笑)。 何より、4人とも「このバンドを続ける」と明確に思っていたのが大きくて。大変なことも多いけど、不安に感じている人間がいなかったのは良かったなと。そのことははっきり覚えてますね。

    大胡田:そう、不安はなかったんですよ。私が覚えているのは、リハのときに「ひとりひとりの音に、しっかりした芯が出てきた」と感じたことで。やおさんがいなくなかったぶん、それぞれが補おうという気持ちだったのかなって。

    三澤:そうだね。5人のときはそれぞれが20%だったけど、4人になると25%。その5%をどうやって埋めようと考えて。

    大胡田:他のドラマーの方と一緒にやるのも楽しかったんですよ。ドラムが変わると、こんなふうになるんだ?という発見もあったし、「だったら私はこうしたい」と試したり。新しい風が入ってきたというか。

    ――メインのサポートドラマー、佐藤謙介さんの存在も大きいですよね。

    成田:そうですね。謙ちゃんと出会ったのは「印象シリーズ」で髭と対バンしたときなんですが、本当に支えてもらっていて。その他にもクラムボンの伊藤大助さんに叩いてもらったり、BOBOさんにもレコーディングに参加してもらって。
    独りよがりに「他にない音楽をやるんだ」という気持ちを貫いてきたつもりだったけど、たくさんの人たちに支えてもらっていたんだなって。
    自分たちの音楽がいろんな人とつながって、それが血となり肉となり、循環していることを感じさせてもらってますね。

  • 第三章 2014.11~2015.12 正論 はこちら

    第三章 2014.11~2015.12 正論

    ――少し話が前後しますが、2013年4月に自主企画「印象」シリーズがスタートしました。

    露崎:そうですね。「印象A」は「フィーバー」(1stシングル/2013年)のリリース記念として開催して。

    成田:「印象A」には東京にFRONTIER BACKYARD、The SALOVERS、SIMI LABのOMSB、大阪にtricot、NOKIES!、DJ DAWAに出演してもらったんですよ。
    自分たちが影響を受けたアーティストをゲストに呼ぶという趣旨のイベントで、「印象E」(2016年)までやって。対バンしたアーティストの楽曲をカバーさせてもらったのも、すごく大きい経験になってますね。

    三澤:尊敬している先輩バンド、ジャンル的には近くないバンドとも対バンさせてもらって、その方たちの曲を自分たちらしくカバーすることを考えて。すごくおもしろかったです。

    大胡田:ずっと好きで聴いてきて、影響を受けたバンドのみなさんに感謝と憧れを示す場所でもありました。コミュニケーションは得意じゃないんですが(笑)、きっと音楽で通じ合えたんじゃないかなって、私は思ってます。

    成田:印象シリーズがきっかけで、いろいろなつながりもできましたからね。Base Ball Bearは僕らが結成時からよく出ていた下北沢GARAGEの先輩でもあるし、UNISON SQUARE GAREDENには、ツアーの対バンとして呼んでもらったり。
    トリビュート(トリビュートアルバム「Thank you, ROCK BANDS! ~UNISON SQUARE GARDEN 15th Anniversary Tribute Album~」。パスピエは「場違いハミングバード」をカバー)にも参加させてもらって。

    大胡田:フジファブリックと対バンするのが目標の一つだったんですけど、それも印象シリーズで叶って。リハのときから感動して泣いちゃいました。

    ――印象シリーズは、パスピエのライブ動員がさらに増えた要因だったと思います。
    そして2015年9月に3rdフルアルバム「娑婆ラバ」を発表。アルバムを伴った全国ツアー「娑婆めぐり」のファイナル公演として、12月22日に初の日本武道館ワンマンライブが実現しました。

    成田:この頃がいちばん難しかったかもしれないですね。「他にないものをやろう」という気持ちで活動してきて、リスナーのみなさんも「ちょっと偏ったところがおもしろい」と思ってくれるようになって。
    音楽的にも新しくて実験的なことを続けていたんですけど――お客さんも「次はどう来るんだろう?」と楽しみにしてくれていたし――活動の規模が大きくなるにつれて、「オーバーグラウンドとは何ぞや?」ということも考えるようになったんですよね。
    自分たちのスタイルを変えず、もっと大きい場所に出ていくためのやり方も考えたし、ライブパフォーマンスも大きく変わってきて。

    ――なるほど…。武道館のライブが決まったときも「嬉しい!」という感じではなかった?

    露崎:決まった瞬間は正直、不安のほうが大きかったかもしれないですね。「やった!」という感じももちろんありましたけど、全員、いろんな感情があったんじゃないですかね。

    大胡田:「そうなんだ…」っていう(笑)。

    三澤:もちろん嬉しさもあったんだけど、「武道館まで、どうやってつなげていこう?」という感じだったというか。その話をしている時期に「贅沢ないいわけ」のデモが成田から送られてきたんですよ。
    「この曲を次の指針にしたい」という話もしていて、そこで「これならイケるかも」という希望が生まれて、それが「娑婆ラバ」につながって。その後、ライブや制作を通してちょっとずつ自信をつけながら、武道館に臨んだんですよね。

    大胡田:確かにそうだったかも。

    成田:「娑婆ラバ」のツアーも、その前の年よりもかなり大きくなっていて。1000人、2000人規模の会場で、「どうやってオーディエンスを乗せて、ひとつの空気感を作っていけばいいか?」ということをやっていたんですよね。
    その経験も武道館に活かされていると思います。

    ――いま振り返ると武道館ライブの当日はどうだったんですか?

    大胡田:アッという間に終わっちゃいました。それまでずっと準備してきたんだけど、「もう当日?」「もう終わったしまったの?」という感じで。階段を降りて、ステージに立ってから、本当に“一瞬”でしたね。

    露崎:わかる気がする。感情がついていかないというか。

    大胡田:そうそう。「これが夢中ということかな」と思いました。ライブが終わったあと、熱が出ちゃったんですよ、私。

    成田:打ち上げにも来れなくて。

    大胡田:自分でビックリしました(笑)。「娑婆ラバ」のアートワークについても話していいですか?

    ――もちろんです!

    大胡田:アルバムのジャケットの“描き込みたい”という欲は、「娑婆ラバ」で一件落着したんですよ。歌詞もそういう感じで、とにかく“詰め込みたい”という時期だったんですよね、このときは。

  • 第二章 2013~2014.6 思考 はこちら

    第二章 2013~2014.6 思考

    ――メジャーデビューはもちろん視野に入れていたんですよね?

    成田:そうですね。世の中に対して広く知ってもらいたいと思っていたし、早いタイミングでメジャーデビューできるのであれば、そのほうがいいかなと。

    露崎:そのことも初めて会ったときから具体的に話してたんですよ。

    大胡田:まあ、当時はそんなに考えてなかったですけどね。本能と感情に任せて行動していたので。

    成田:僕らがデビューした頃はロックフェスが世間に広まって、「夏といえばフェス」というのが既に浸透してきて。
    同世代のバンドにスポットが当たることも増えていたし、バンドマンにとって刺激の多い時期だったと思うんですよ。
    規模が大きければ正解というわけではないけど、名を残したいというか、「認知されたら嬉しいし、それに越したことはない」と思ってましたね。

    三澤:メジャーデビューが決まったときに、自分たちにとって未開拓の土地に足を踏み入れるような感じがありました。
    フェスにしても、すべてが初めてじゃないですか。
    ライブの規模もそうだし、野外のステージもそうだし。全部が新鮮だったし、あまり考えずにただ一生懸命にやっていたというか。

    成田:楽曲で言うと(1stフルアルバム)「演出家出演」の前に「フィーバー」を出して。
    「S.S」もそうですけど、MVも作ったし、いよいよ自分たちの肉体的な部分が外に出ていくような感覚もありましたね。世に向けて発信しなくちゃいけないというか…。

    大胡田:「演出家出演」は制作のときからライブを意識していたところもあったからね。

    成田:うん。その頃のパスピエはサブカルチャーとして取り上げられることも多かったんですよ。
    大胡田の声の印象もそうだし、シンセポップな1面があることもそうなんだけど、“キラキラしていてポップ”みたいな括られ方をすることもあって、バンドマンとして結びつけてもらえなかったというか。
    それは悪いことではないんですが、自分たちとしてはフェスやライブを通して「このバンド、こんなに激しい感じなの?」というところを見せたくて。

    大胡田:そうだった。私も歌い方やライブパフォーマンスで悩んでしましたね。もともと私が好きなジャンルは、ライブで左右に走り回るような感じではなかったんですよ。
    そのこともあって、いざフェスなどに出るようになってから、自分の動き方やキャラクターもすごく迷って。どこにフォーカスを当てて、どう見せたらいんだろう?ということですよね。
    パスピエの音楽をもっと広げて、かつ、自分の気持ちとも折り合いが付けられるラインをずっと探していた時期だと思います。

    三澤:ライブの本数も増えていたし、フルアルバムを出した後は初めての全国ツアーもあって。
    お客さんに楽しんでもらいながら、自分たちも楽しくやるためにはどうしたらいいかと真剣に考えはじめて。
    そうやって少しずつライブが有機的になっていく、そういう時代だったんじゃないかなと。

    露崎:「わたし開花したわ」「ONOMIMONO」を出して、その楽曲をライブで演奏してきたことが「演出家出演」に反映されて。その後、LIQUIDROOMや赤坂BLITZでライブをやるようになって。ぜんぶ地続きだったなと思いますね。

    大胡田:赤坂BLITZのワンマン、懐かしい…。

    露崎:初めてライブで映像を使ってもらって、すごく感動した記憶がありますね。「こういうことをやりたい」というイメージが具現化してきたというか。

    ――2ndフルアルバム「幕の内ISM」の頃はどうでした?

    成田:「演出家出演」を出して、ライブを重ねたことで、ライブバンドとしてのパスピエを認知してもらえるようになって。
    自主公演やワンマンもルーティンとしてやれるようになってきたんですが、「幕の内ISM」の時期は「ライブでこういうことが出来るようになってきたから、こんな曲を作ってみよう」という循環が生まれていたんですよね。 「MATATABISTEP」「とおりゃんせ」もそうですね。

    大胡田:日本人の民族性みたいなものも意識していて。

    成田:“海外から見た日本”のイメージですね。YouTubeにMVをアップするようになって、そのなかで「海外から見た自分たちを俯瞰で表現したらおもしろそうだな」と思ったのがきっかけだったかもしれないですね。和の要素はその前からあったんだけど…。

    露崎:より顕著に出てきたというか。

    ――和テイストは大胡田さんのイメージにもすごく合っていて。

    大胡田:「幕の内ISM」の時期は、「自分が望んでいる表現ができたらいいな」と思っていて。バンド自体も、楽曲を通して世界観を表現しようとしていたタイミングだったんじゃないかなと。

    三澤:「幕の内ISM」で曲のバラエティがさらに広がって。言い方が難しいですけど、“パスピエらしさ”が固まってきた時期だったと思いますね。

  • 第一章 2009~2012.6 原型 はこちら

    第一章 2009~2012.6 原型

    ――最初の2作「わたし開花したわ」「ONOMIMONO」には「トロイメライ」「最終電車」「チャイナタウン」など、初期のパスピエを代表する楽曲も収録されていて。
    ライブでもアンセムみたいになっていたし、この時点でバンドの基本のスタイルは出来ていたのでは?

    成田:そうかもしれないですね。

    三澤:無我夢中でしたけどね、最初の頃は。大きいスタジオでちゃんとレコーディングしたのも初めてだったし。CDを出して反応が返ってくるという経験も、それまでにはなかったので。

    成田:ライブも試行錯誤してましたね。メンバーの立ち位置も今と違っていて、大胡田がステージの端っこにいたり。

    大胡田:どうにか気を引こうと工夫してましたね(笑)。もちろん「まずは観てもらいたい」という気持ちはあったんで。

    露崎:音源を出した後は、ライブの表現をどうするか?ということを考えてましたからね。曲によっても違うんだけど、再現を目指すのか、それとも別物として捉えるのか。

    ――ちなみにアーティスト写真などで“顔を出さない”という方針は、どうして決まったんですか?

    成田:最初のアー写がイラストだったんですよね。

    大胡田:急にアー写が必要になったんだけど、撮影の時間が取れなかったから、私がイラストを描いて。それがしばらく続いたんですよ。

    成田:そのうちに“正体不明のバンド”と言われるようになったから、それを逆手に取って「匿名性を活かして活動するのもおもしろいかもね」と。ライブは普通に顔を出してやってたんですけどね。

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